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2012/03/02 9:18
アロハ、ククイです。
今日は、久しぶりに朝からよい天気になりましたよ。ホノルルの空はこうでなくっちゃ!さて、3月にも入り、気分は少し春。
今日は、先週末に閉幕したばかりのHawaiian Islands Invitational 2012の開催責任者である、中村武彦氏にスポットを当ててみましょう。もちろんこの大会の主役は、選手たちです。でも、この大会を企画し、運営してきた一人の日本人がここにいることを忘れてはなりません。
実は私ククイ、2008年にPan Pacific の開催のときに中村氏にお会いしてお話を聞く、と言う大胆なことをしていました。そのときにも、若いながら、すごいな・・・と思ったものでした。その夢の実現をさらに大きくしてもどってきたHawaiian Islands Invitational.これからも応援したいと思います。
中村氏は、幼少時代の10年間を、ニューヨークとロサンゼルスで過ごした帰国子女。2002年、渡米し、マサチューセッツ州立大学・経営学部・スポーツマネジメント修士課程に入学、2005年メジャーリーグサッカー(MLS)国際部に、MLSコミッショナー代理のアイベン・ガジダス(現アーセナルFC/CEO)より、初めての日本人として雇用されました。2008年には、世界初、環太平洋クラブによるチャンピオンシップ「パンパシフィックチャンピオンシップ」の開催責任者として活動、2010年、日米にまたがるスポーツマーケティング会社、LeadOff Sports Marketing社のゼネラルマネジャーに就任。そして、2011年、ESPN 社およびハワイ州観光局とHawaiian Islands Invitational サイド立ち上げ、2012年2月、無事に開催することができました。
中村氏にいくつかの質問への回答をいただきましたのでご紹介します。お忙しい中ありがとうございました!
1.2008年にPan Pacific を開催し、その4年後にHawaiian Islands Invitational(以下HII)を企画、開催した経緯は?
中村氏:2008年開催時から継続してハワイでの開催を目指していたのですが、当時のアロハスタジアムの人工芝の状態が古く、参加チームたちから怪我を懸念し、あそこではプレーが出来ないと言う声が相次ぎ、泣く泣くロサンゼルス開催に翌年の2009年実施しました。しかし、やはりハワイとは異なり、関係者間では何とかハワイへ大会を戻す声が高まりました。しかし、2010年は自分自身がMajor League SoccerからFC Barcelonaにヘッドハンティングされ、 Major League Soccerで開催できるノウハウを持った人間が不在で、一旦大会は保留に。しかし、ハワイ州観光局も、ハワイの関係者たちもこの大会をハワイに呼び戻したいと言う気持ちは強く、2011年にアロハスタジアムが人工芝を刷新したのでした。僕自身も独立起業をしたこともあり、今度は主催がMajor League SoccerよりESPNに移管され、小生とESPNで提携をし、大会組織委員を再度立ち上げ、2012年に見事ハワイにこの大会を持ち帰ってくることに成功をした次第です。
2.どうしてハワイ、と言うデイステイネーションを選んだのでしょうか?
中村氏:サッカーと言うと、どうしても欧州や南米をイメージしてしまいますが、環太平洋地域には新興プロサッカーリーグが多く密集しております。 Major League SoccerもJリーグも、Kリーグも、Aリーグも皆出来て20年前後の新しいリーグばかりで将来的にはサッカー界で大きなパワーを持つ地域と僕は見込んでいます。その新興リーグ間で定期的に協力しあえる大会があり、皆が交流できればさらにこの地域のサッカーの発展に繋がると考えました。そんな中、ハワイは立地的にも環太平洋地域のシンボル的に中心に位置をしており、皆が集まりやりやすいですし、気候もキャンプに適していますし、何よりもハワイにおけるサッカー人気の高さがこの大会を大きくすると考えましたし、逆にプロサッカーイベントがハワイに来ることで、ハワイの子供たちも本物のサッカーに触れられる機会を得ることが出来、ハワイのサッカーのレベルも上がると考えました。
3.これからの中村さんの夢は
中村氏:日本を代表する国際サッカービジネスマンになること。日米間のサッカーの架け橋になること。環太平洋地域のサッカーを世界レベルに高めること。他にも数え切れないほど夢があります!
これからもアメリカと世界、そして日本やハワイの架け橋として活躍を期待いたします。
写真は、 コロラド・ラピッズ(MLS)。

By ククイ
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